人の良い父は「まわりの人に迷惑かけたくないから」とワクチンを打った
主治医の先生も問題ないと言った(責める訳ではなく、覚書として)
5月26日に1回目を打ち、次の日に発熱
一度は解熱剤で収まりはしたが
5月31日に呼吸困難になり救急車を呼んだと施設から連絡があり、急いで駆けつけて救急車の車内にはいると
呼吸器を付けて、熱もあるようだ
「お父さん!しっかりして!」
声をかけると、聞こえたらしく
「あー、おまえか、来てくれたか」
と返事をしてくれたようでした
込み上げるものが止められない
「お父さん!後2年は頑張るって約束したでしょう!」
頷いてくれた気がする
何故なら3ヶ月後に、待望の初ひ孫が生まれるからだ
昨日のオンライン面会で、父はひ孫と話ぐらいできたらいいなと言った
話をするには2年は頑張るらないとと嬉しそうに笑っていた
父はいつも前向きで、今を楽しもうとし、笑っている、、どんな辛い時も、、
滅多に弱音をはかず、愚痴らない
人に騙されても恨まない、相手が助かるなら進んで騙されに行くぐらいだ
若い頃から私は、そんな父を冷めた目で見ていた
ワクチン後に発熱して心配していたが
実際にこんな事になるとパニックだ
もうそろそろ、痺れをきらした母ちゃんが迎えに来たのか
母ちゃん、頼むから、もう少し待って💦
救急車の中で取り乱し、救急隊の方に「呼吸も落ち着いてます、落ち着いてください!」と言われ「はい、、」(内心、「って、落ち着いてられっかいな💧」)
毛布の上からですが、ずっと触って無かったなと思いながら、久しぶりに手をもんだり、足をさすったりできました、、痩せたなぁ、、だけど触れてよかった、、、
救急隊の方が病院の確保をしてくださり、受け入れ先に確認したところ、コロナのおり、身内でも病院内には入れないとの事で、施設前で救急車から降ろされました
救急車を見送りながら
ケアマネさんや看護師さんに「大丈夫ですか」「お父さんは大丈夫よ」と励まされ、とぼとぼ歩いて帰路
こんな時こそしっかり食べないとと
昼から焼き肉🥩を食べました💪
主人も早めに帰宅
受け入れ先の病院から連絡が来て、隔離病棟でPCR検査後に一般病棟に移るらしい
CTだかも、撮ると言ってたかな、、、
肺炎、尿路感染症、大動脈流など併発していて、最低でも10日程は入院して抗生剤での治療、その後の体調によってリハビリ病棟でリハビリしてから施設に戻るか、療養病棟に移るかになるらしい、、
母の時思いましたが、上手な理学療法士さんに当たれば良いけど、リハビリも辛いですよね💦
当分は点滴で栄養を取るらしいが、祈りを込めて病院待合室に入れ歯を届けた
祈りの入れ歯
病院の待合室は、人が少ないと言うよりガラガラだ、無人島、、、毎日あんなに沢山のお年寄りがいたのに、みんな何処へ行ってしまったのか、家に籠もっているなら、というか籠もっているに違いないけれど、誰か安否確認はしているだろうか、、、
家にいても頻繁に、それほど遠くない所から、救急車のサイレンが聞こえる、、、
私は夢でも見てるのだろうか?
頭がおかしくなったのか?
こんな時こそ深呼吸、、、
大丈夫、大丈夫、、、
父は、一昨年は足が浮腫んで2週間ほど入院したが、去年は無事で元気に年越ししていた
土日もなく働きづめで、ほとんど家に居ない父でした
忙しくてゆっくり歯医者にも行けず、虫歯は治療時間がないので抜いて終わりです
頑固で振り回される事もありましたが
優しい人です
私は父を尊敬しています、大好きです
93歳まで頑張って生きてくれたので、欲張りは言いません
本人も「自分の親より長く生きた、こんなに生きれると思わなかった」と言っています
胃ろうや気管切開はしたくありません
母はどちらもしましたが、いずそうでした
母が倒れた時、父と私は2年程、毎日病室に通った、、悔いはない
父は、母のじいちゃんが102歳まで生きたので、母の方が長生きする(希望的観測)と言っていましたが、母は10年前に行ってしまいました
父と私、二人の時間を作ってくれたのでしょうか
母がなくなってからは、2人で買い物や、ランチ
主人がいる土日は毎週のようにドライブしました
父は以前から延命治療は断ると言っている、口から食べられなくなったら自然に行きたいと、、、
ただ、残りの日々を、少しでも長く穏やかに、苦しまずに過ごして欲しいのです
10万分の1か100万分の1のリスクか知らないが、自分が絶対にあたらないとはいえない。寿命だと諦めがつく歳ならまだ良いが、若い人はよく考えて欲しい、万が一自分が犠牲になったとしても、世界を救えるわけじゃない、私は父程のお人好しではない
皆の衆 草の根を食べても
生き延びましょうぞ!!
(ナフタリンくさ!笑)
ご訪問ありがとうございます☆
貴方に沢山の幸運がありますように☆
またねー👋